その他 Others  価値観 Sense of values 1/3
価値観って何?

「物事を評価する際に基準とする、
何にどういう価値を認めるかという判断。大辞泉」

要するに物事の価値基準ってことである。
何が良くて何が悪いとするか。
そのあたりの判断の基準になるもののことを言う。

この価値観の違いで様々な争いが起きている。
政治的な対立宗教戦争などは社会的な問題として
一般的な例と言えるのではなかろうか。
ケンカ離婚などは個人的な人間関係として
多く耳にする問題と言える。
これらは何がきっかけか。という問題ではなく
価値観の違いが影響しているのではなかろうか。
お互いが正義を主張しどちらも自分が間違っているとは
思わない。
実際にどちらが間違ってどちらが正しいかなんて
わからない問題も多い。その時代の価値観や個人的な価値観により
それらは正しいか間違っているか判断される。
法律はその外部的要因として機能し、人として間違った行為に対して
処罰を与え社会を統治している。
価値観は内部要因として個人個人が持ち道徳や倫理感により
理性的に社会を維持している存在と言っても過言ではない。
1.価値観の多様性

人は自分自身を肯定されたときに自己肯定感が得られる。
自己肯定感とは「自分がここに存在してもよい。」
「この場所にいる意味がある。」「周りの人の役に立っている。」
このような感覚のことである。このような感覚を持っているときは
気持ちは穏やかで落ち着いた状態でいることができる。
逆に否定された時はこの自己肯定感が得られなくなり
落ち込み・不安やいらだちが生じることになる。
ここに関わってくるのが価値観である。

このような対立は自分の価値観他者の価値観
違いが生じたときに起こる。
自分が間違っているか、他者が間違っているかで判断する場合
押し付け合う我慢するという行動になる。
そしてこのような行動はいずれも落ち込み・不安やいらだちといった
感情を生み出す原因にもなる。
個人的な価値観の違いを例に示す。
人の好みは千差万別。特徴がある人ほど
魅力的だがアクが強い。
そしてその能力の正反対の能力が劣っていることも多い。
優しい人は合わせてくれるけれども頼りがいという点では
劣ってしまう。また見方によっては優しいというのは
相手に合わすことはできても自分で決めることができない
優柔不断の場合もある。逆に頼りがいのある人も
見方によっては横暴ともとれる。

付き合っているときは優しいと思っていたのに
結婚したら優柔不断だった。
付き合っているときは頼りがいがあると思ってたけど
結婚したら横暴なだけだった。
熱が覚めた時、見方が変わっただけで
価値観のとりようでこうも感じ方が変わってしまうのである。
2.価値観の分類

価値観は大きく3つに分かれる。
幸福道徳自由である。
それぞれ何に重きを置いて価値観を形成していくか
思考の拠り所となる。
これらはそれぞれ融合する場合もあれば対立する場合もあり 
違う価値観での話し合いになると、方向性は平行線となりやすい。
また意見を対立させたい場合にあえて
このような価値観の違うもので対比させ否定するといった
強引な論法もある。
 
3.ジレンマ

価値観は価値観同士がぶつかり葛藤した感情が生じることがある。
例えば嘘は絶対についてはいけないといった
価値観を持っているとする。
友達が殺人鬼から逃げてきて自分の家にかくまったとする。
殺人鬼が家に押しかけ「おまえの家の中に隠れているか?」
と聞かれたらどうするか?
おそらく答えないだろう。「人の命」と
「嘘をついてはいけない価値観」では人の命のほうが重いと
考えるのが大半だからではなかろうか。

これらのジレンマについて問いかける有名な事件がある。
19世紀の「ミニョネット号の遭難事件
19日間海上を遭難した船があった。
4名の船員がいたが食糧が底をつき、生きていくことも危ぶまれた。
そのうち家族もなく年少者だった少年が海水を飲み衰弱していたので
みんなが生き残るために船長が体の弱っている少年を殺害。
その人肉を食べて他のものが生存した事件。

命は大切である。もし少年を食料にしなければ
他の者の命も失われていた可能性も高い。
家族がいないから殺害してもよかったのか。
命とは数の問題なのか。
どんな時であっても人を殺してはいけないのか。
他の船員3名は死ぬべきだったのか。
こういった価値観のジレンマが生じる。
きっと本人の意思に関係なく他者から命を奪われることに対して
嫌悪感が沸き起こるものと考えられる。

その他にも価値観の違いによる問題は
身の回りの社会にも多くある。
死刑・代理出産・大学入試(学力差別)・
テロの拷問・中絶・脳死・生体移植・
ネットワーク倫理・禁煙や分煙。
おそらく自分にとって近い価値観や都合のいい価値観を採用したり
意見の多数側に回ることが多いと思われるが、
はたしてそれは正しいのだろうか。
一つの価値観にとらわれている、自己を保守するための
意見ではないだろうか。

価値観というものは様々なものがあり、
人それぞれ違う。そしてその価値観そのものがジレンマとなり
人々を葛藤させる根源となりうることも少なくない。 
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